早くから任せて育てる風土と、
上場企業に引けをとらない生涯年俸があります。
-
Point
店長クラスでは年俸400〜880万円、支配人クラスで650万円〜880万円、部長クラスで900万円〜1100万円というのが、収入の目安。早くから役職に就くケースが多く、結果として生涯年俸でみれば上場企業を上回る額が見込めます。
-
Point
店舗での調理やマネジメントをはじめ、本社での企画・人事総務などのスタッフ職、商品センター勤務やバイヤー関連職など多彩なキャリアステップがあります。年度ごとの合宿や研修などで、役員や上司と面談の場を設け、個別にキャリアプランを指導していきます。
-
Point
年齢や経験、社歴などを問わない実力主義で評価する体制があります。店舗の運営管理はもちろん、新規事業、業態の立ち上げ、分社化による関連会社社長としての経営実務など若い内から「経営」を感じ、学べる環境です。
CAREER STORY#1
社長賞は一番乗りでした。
がんこ 三田の里
店長
向井 祐貴
2009年入社
CAREER MAP
- 入社
- 主任
- 店長
「なぜ、僕じゃないんだ…」主任だった頃の僕は、年下の後輩たちが店長になっていく姿を何度も見てきました。何ならお店の仕事は人一倍できるはず。だから余計にできないスタッフを見るとイラッとした。怒鳴ったり、代わりに自分で手を動かして片づけることも多かった。
そんな僕のせいで、あるとき一人のパートナーさんが辞めた。そのご家族から「そこまでキツイ言い方する必要あるのか!」と、会社にお叱りを受けるような騒ぎになった。おまけにそのパートナーさんが辞めたことでお店の運営も大変に…
正直、凹んだ。一人ひとりの力の大切さが身に染みた。みんなの助けがあってお店ができる。それを活かす視点が欠落していた自分にようやく気がついた。
そこから僕は変わり始めた。「すごい!」と思える店長の身振り、手振り、声のトーン、いろんなことを真似するようになった。やがて僕の周りにも仲間と頼れるスタッフが増えてきた頃、僕はようやく店長に任命された。
そして就任1年目。僕の任された店は、社長賞をいただけるまでに成長した。「店長になるのは遅咲きだったけど、一番早く花が咲いたね」と人事部長が僕の肩を叩いてくれた。
CAREER STORY#2
そんな自由さに、つい頑張りたくなるんです。
管理本部人事総務部
担当課長
千 雪花
2008年入社
CAREER MAP
- 入社
- 主任
- 係長
- 課長
本社勤務になった当初、お店と違い何をしていいかわからず、はっきり言ってヒマでした(笑)。前任から引き継いだ仕事を覚えながら、上司と一緒に行動するのですが、基本的に驚くほど自由。
合同説明会では、上司が喉を枯らしたのを見かねて「私がやってみましょうか」と言い出せば、リハーサルもなしに任せてもらえる。データの管理やファイリングも、「不便と思えばいいようにどんどん変えていいよ?」と任されます。
それならばと、気づいたことを提案しどんどん手をつけるうちに、いつのまにか仕事が増えて忙しくなっているのに気づく。そんな日々でした。
今では後輩もできて、人事の中でも教育部門に専念。研修プログラムの一つ一つを毎年見直してブラッシュアップしています。高卒の社員を対象にした「がんこ大学」も、周りからは「いつのまにか終わるんじゃない?」と言われながらも、「みていなさい!」と役員・部長クラスに至るまで講師に巻き込み、ついに1期生が卒業する4年目を迎えられました。今ではお店からも「いくら忙しくても受けさせたい」と言ってもらえています。
昔「5年くらい働いたら辞めよう」と思っていた私が、今でも「もっともっと」と頑張りたくなる。ここはそんな職場なんです。
CAREER STORY#3
部長まで成り上がれる、そんな会社です。
東京営業部
部長
新井 健治
1998年入社
CAREER MAP
- 入社
- 調理主任
- 店長
- 副支配人
- 支配人
- 次長
- 東京営業部部長
高卒入社でずっと調理畑を歩んできた自分が、店長を任せられました。それまでホール経験すらほとんどなく、まずお客様と会話ができない。
おまけに銀座一丁目店はビジネスマンが集い、接待や会合でも多くご利用いただく店。個室も多いことから各客席に店長が挨拶回りをする習慣があり、「店長にお客様がつく店」とも言われていたのです。
…ところがお客様と会話する中で「今日の経済新聞のコラム見た?」と聞かれても料理1本できた自分には全くついていけない…「これはマズイ!」と猛勉強を始めました。
経済新聞を読み込むのはもちろん、会社に内緒で通信制の大学に通い始めました。仕事の傍ら休日に学ぶのは大変でしたが、お店と大学で出会う異業種で働く社会人たちとの会話の中で感じたのが、より広いビジネスの世界。
高校を出てお店しか知らなかった僕には本当に刺激的でした。
その後、転勤で休学したり時間はかかりましたが、どうにか卒業までこぎつけ、自分にとって大きな自信に繋がりました。そんな経験を経たからこそ、今「調理の人間の気持ちわかる部長」として、東京エリアの全てを預かるようになれたのかもしれません。